先祖、父母等について


一、先祖、父母について

父方の先祖は武和と申します。
三重県にある武和家のお墓には
先祖として「下桐権太夫」の名が刻まれており
下桐太夫であったという方もいます。
以前、菩提寺であったところで過去帳を調べたところ
先祖は、鎌倉時代の頃、現在の静岡県から三重県に来たようです。
ほかに、権威ある学者の書かれた氏名研究書には
寿ぐ、たたえる意味を表す項目に武和の性は分類されており美称でもあるようです。
*父の青春はほとんど戦争の時期と重なります。
一度目は中国に出征し、最後は東京で近衛兵として終戦を迎えました。
父は武道の心得もかなりあり、植芝盛平翁から合気道を学び
柔道や合気道などを高校や警察で教えておりました。
また、プロ野球の有名選手、大相撲の力士などにも指導しております。
その後は、地域医療に貢献し、
全国規模の医療問題に際しても県や国に対しての運動を行い
また、水俣病が発生したときは、率先して水俣に行き
原因究明や、治療にあたっています。
長らく青少年年補導センターや民生委員もして
地域の方に慕われて生涯を終えました。

母方は音無と申します。
読み方はオトナシです。
音無家は、もともとは
先祖代々、熊野の三大大社(本宮、那智、速玉)の
神職、社家総代の家系であり
ずっと、さかのぼれば伝説上であるかもしれませんが
神武天皇の祖母にまでいきあたります。
今の本宮は、 いにしえの時代には「音無の里」と呼ばれていたそうです。
音無家は、幕末の時代には、神社復興のため、
家来を連れて京にのぼり、
天皇から復興のためのかなりの資金援助も受けたことが
文献に記載されており、その記載には
後藤象二郎や西郷吉之助(西郷隆盛)の名前も記されております。

また母の母方も玉置家として
日本を代表する古代神社として有名な玉置神社の家系です。
玉置神社は、神武天皇御東征の途上にある玉置山にあり
熊野三山の奥の院、大峰修験の行場の一つです。

母は、幼い頃から字がうまく、
当時の宮家である梨本宮様から立派な硯(すずり)を賜り
奈良県からも表彰されました。
その後、地方裁判所において書記として働いておりました。
母も戦争の悲惨さを経験しており
絶対に戦争は嫌だと心の底から話ておりました。
知り合いの方も特攻隊で亡くなっており
その方の名前が功という方だったそうです。

日頃の母がよく話してくれたことは、
一、負けるが勝ち。
二、人に威張ったり、嫌なことを言ったり絶対しないこと。
(私が東京にお店を出したときも
母が一番頭を下げていたのは、お店の従業員の方たちに対してでした。)
三、人生で死にたくなるときは母自身も3度あったけれど
運命などは必ず変わるので、悪いときも決して悲観しないこと。などでした。

母の妹も、書道家(野村桃苑)として、
アメリカやアジア、ヨーロッパの一流の美術館(ルーブル等)にも書を展示され
国内だけでなく海外でも賞をいただいております。
姉妹そろって書をたしなんでいたのは
母の父(音無藤吉)のおかげのようです。
その父も治療家であり修験者であったそうです。
以上、先祖や身内の自慢話のようで恐縮ですが
今まで、子供たちにもあまり伝えておらず
これも必要であるかもと思い、ここにあえて記しておきました。
元のページに戻る